【中国】存在するものが、ずっと在り続けるとは限らない。
2015年10月18日(日)
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高校時代、歴史98点、数学20点でした。
そんな男がお贈りするお話です。
今回は、中国大陸について。
春秋、戦国、三国、五胡十六国、南北朝、五代十国。
これ、なんだと思いますか?
試験勉強で記憶に残っている方がいるかもしれませんね。
これは中国が分裂していたときの時代の名称です。
分裂って言い方は変かもしれません。
いわゆる中国大陸に統一国家が無かった時代ですね。
厳密に言うと近代の北宋と南宋の時代、そして、金と清で分裂していた時代もあります。
長い歴史の中、中国大陸に統一国家があったのは、
秦、漢、後漢、晋、隋、唐、元、明、清の時代です。
※記憶で書いていますので漏れや前後の誤植があるかもしれません。
~~~
ともあれ、中国大陸が分裂していた時代と、統一国家があった時代。
その年数を比べてみると、実は圧倒的に、分裂していたほうが長い。
中国四千年と言われるの歴史の中で、統一国家があったのは、千年間~千三百年間です。
だからか、中国のことをニュースや新聞で見聞きする中で思うのは、
「あんな広い地域を統一統治するのはすごいことだなぁ」ということなんです。
そして同時に思うんです。
「分裂しても、何ら不思議ではない」と。
わたしは、ですが、統一統治されている今のほうが、ほんの少し違和感を感じるくらいです。
人間は、100年も同じ状態が続くと、それが永遠なんだと勘違いしてしまう。
~~~
では、もし、分裂するのなら?を考えてみたいと思います。
分裂は、南北または、3国~4国だと思います。
原因は、経済政策の失敗。(バブルの本格的な崩壊)
直接の原因は、反乱。南から。
推移は、反乱に軍部の一部が賛同して、一時内戦。
長江を境にして休戦(または膠着)という流れかもしれません。
南北の二国になるのなら、北は共産国家、南は民主国家ではないでしょうか。
北の首都は北京。南の首都は、南京または上海です。
~~~
たぶん、これによって、日本の動き方、周辺の地域の在り方が、ガラッと変わります。
尖閣、南沙、チベット・・・紛争が生じている周辺地域のほとんどは、紛争どころの騒ぎではなくなります。落ち着くか、激化してどんでん返しがあるか。
他の民主国家の基地が、南部の国家内に、いくつもできるでしょう。
そして、周辺地域にとどまらず、世界のパワーバランスが崩れるといっていいくらいのインパクトだと思います。
~~~
最後に、日本にどう影響するか?を考えてみたいと思います。
まず、出てくるのが、難民問題です。
ちょうどいま、ヨーロッパで起きている問題ですよね。
ヨーロッパ諸国は喫緊の課題ですが、日本は、関係薄いぞって態度です。
これが180度、立場が変わって、日本が直面することになります。
入国管理の法律もガラッと変わるでしょう。
難民の数は、ハンパないですね。
1000万人とかのレベルじゃないでしょう。
どうするのでしょうかね。
ちなみに、その時に日本が外国人参政権を認めていたら・・・日本もひっくり返ります。
次に、核の問題です。
中国内戦で、核が使われない保障はどこにもありません。
使う可能性があるとすれば、おそらく北の共産国家ですね。
理由は、システム的な使用権限を持っているだろうし、何より、独自に判断することになるから。ロシアは、歯止めにならないかもしれない。
民主国家からの使用は、まず無いと思います。関係国が絶対に許さない。
ただ、これ(使用)は絶対にあってはならないことだと思います。
被爆国 日本としても、絶対に許しちゃいけない。
そもそも、被害は計り知れません。
~~~
歴史という点から見ると、ほんと、いろいろ、感じるところが出てきますね。
分裂しないことを祈るばかりです。
何よりも、平和。
これが持続継続してほしい。
人類全体の歴史から見ても、今の世界は、稀にみる「平穏な時代」です。
あくまでも、歴史的には、です。
一定の地域では戦争があります。それは確か。
でも、戦時平時の平時人口の割合、そして歴史的に見ると、圧倒的に平穏といえます。
2000年まで、それだけ世界は戦乱だらけでした。
歴史って観点から見たら、今の平和が特殊であることも分かります。
平和にあぐらを組むことなく、守ってゆきたいですね。
人間は、100年も同じ状態が続くと、それが永遠なんだと勘違いしてしまう。
これって、危ないことだと思います。
わたしはよく、戦争の記録映画、動画を観ます。
テレビではまず出ないような記録を、あえて観ます。
もちろん、戦争の経験はありません。
ただ、戦争は、すさまじいですよ。
ほんと、すさまじい。
平時の道徳なんて比較にならないことを、人間は、することができます。
ほんと、平和は大切だなと、歴史好きな男は、心底、思う今日このごろです。
今日も、読んでいただいたあなたに感謝します。
投稿者 崎田 和伸でした。
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【歴史好き必見】歴史98点、数学20点だった男がお贈りするレキシの裏話
2015年8月16日(日)
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そんな男がお贈りする、レキシの裏話。
お読み流しください^_^;
史料からある程度間違いないだろうと言われていることを書きたいなと思います。
真偽のほどは、完全には保証できません。ご了承くださいね。
ご興味あれば、ネットで深掘りしてみてください。史料とともに載っています。
年代は順不同で、思いつくまま、書きますね。
~~~
◆武田信玄の治世では、領内で一揆発生は0件。
「人は城、人は石垣、人は城」と言っていただけあって、領民支配は上手でした。
◆戦国武将は、同性愛が奨励された。
理由は分かりません(ー ー;)
有名な小姓である蘭丸は、織田信長の愛人でした。
武田信玄も大の男性好き。
ただ、豊臣秀吉は、ブームに反して、終生、女性を追い求めました。
◆戦艦大和の船内には、ラムネ製造室があり、船員はラムネが飲めた。
大和には、消火設備として炭酸ガス発生装置が設置されていて、これを転用してラムネ製造器がありました。製造室もあった。
潮水が口に入ることで、喉の乾きを訴える船員が多かったので、ラムネが重用されたそうです。
ちなみに、大和には、アイスクリーム製造機もあったようです。
最先端の設備を誇っていたのですね。
◆戦艦大和の船内には、エアコンがあった。
大和の艦内のすべてではないですが、エアコンがありました。
作ったメーカーは、今も健在ですね、ダイキンです。
◆坂本龍馬は、死後、有名になった。
龍馬伝の冒頭のシーン、憶えておられる方は多いかもしれません。
龍馬が有名になったのは、明治時代に新聞に取り上げられたのが契機です。
ちなみに暗殺は、一説によると、一緒にいた中岡慎太郎がターゲットだった、という話もあるくらいです。
◆坂本龍馬の移動距離は、4万4千キロ。
土佐を脱藩して33歳で暗殺されるまで、地球一周よりも長い距離を歩き、船に乗っていたことになります。
◆本能寺の変は、本来、徳川家康を殺す計画だった。
本能寺の変といえば、織田信長が明智光秀に討たれた事件ですね。
でも本当は、織田信長が徳川家康を本能寺に呼んで、明智光秀に家康を討たせる計画だったそうです。
「その計画を逆用して、光秀が信長を討った」ということを、光秀の子孫の方が本で書いています。
変の前後のことを鑑みると、説得力あります。
~~~
歴史は面白いですね。
まだまだ知らないことが多い。
間違ったことを正しいと思い込んでいるものも多いです。
例えば、これは可能性、ですけども、「江戸時代は鎖国していた」という常識そのものが変わるかもしれないそうですよ。
「鎖国していて、ペリーが来て、開国した」という、誰しもが教科書で学んできたことが、ガラッと変わるかもしれません。
江戸時代、誰も鎖国だって思っていないし、思っていたより、多くの国と貿易もしていたから、だそうです。
数年後、教科書、変わるかもしれませんよ(^_^;)
ということで、
高校時代、歴史98点、数学20点だった男がお贈りするレキシの裏話
でした。
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【今になって想います】祖父たちの戦争
2015年7月23日(木)
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終戦記念日が近づいてきました。
40歳を過ぎて、想うことがあります。
祖父たちの戦争、についてです。
~~~
父方、母方の祖父ともに、戦争を生き抜きました。
父方の祖父(死去)は、陸軍航空隊の整備兵として、出征しました。
飛行場の設営、整備にあたりました。
中国大陸、フィリピンなどに出征しています。
参考)過去ブログ記事
http://ameblo.jp/ksakida/entry-11962971516.html
母方の祖父(〃)は、陸軍の近衛師団で、輸送を担当していたそうです。
輜重部隊(しちょうぶたい)というのでしょうか。
中国大陸に出征していたとか。
近衛師団が中国で戦う、というのも変な気がしますが、実際、出征していました。
戦争について多くを語らなかった母方の祖父ですが、少しだけ、話してくれたことがあります。
それは、中国大陸で、輸送任務に就いていたときのこと。
峡谷を輸送中に、両側から激しい砲撃を受けたそうです。
「ありゃ~えらい大変じゃった」=あれはすごく大変だった。
そう言っていました。
でも、多くは語ろうとしませんでした。
~~~
わたしが最近、特に想い返すのが、「父方」の祖父の言葉です。
陸軍航空隊の整備兵だった祖父ですね。
この祖父も戦争の話はあまりしませんでしたが、ある時、わたしがこう質問してみたことがあります。
「戦争へ行って、どんな苦労をした?」と。
その時の答えがこうでした。↓
「苦労は無かった。楽しかった」。
この一言です。
小学生だったわたしは、「そうかぁ」と思っていました。
学校で習う戦争の話とのギャップに、「?」と思いながら。
いま大人になり、歴史好きがこうじたのか、一般の人よりも、戦争のことは知ろうとしていると思います。経験はもちろんありませんので、あくまでも情報として。
文字や映像でしかありませんが、本を読み、映像は見ているつもりです。
戦時中のプロパガンダ系から始まり、右、左・・・。
そして、40歳を越えて、今、想います。
父方の祖父の言葉「苦労は無かった。楽しかった」に対して・・・
「そんなわけはない」と。
~~~
祖父はたぶん、陸軍整備隊のいずれかの小隊に所属していたと思います。
陸軍航空隊の整備兵といえば、陸軍の他の隊が戦闘を終え、死体がごろごろしている戦場を通り、これまた死体が転がる場所で、飛行場を設営していたでしょう。
飛行場の設営は、いの一番ですから。
戦闘機の発進では無事を祈って送り出し、帰還に際しては、被弾、負傷した搭乗員を運んだことも、数えきれないと思います。
撤退では、整備兵は一番最後と聴いたことがあります。
戦闘機乗りが優先して後送されたと。
殿(しんがり)に近い役割を担ったのだとも思います。
祖父は幸いなことに、終戦前に内地(日本国内)に転属となり、確か、四国松山で終戦を迎えています。おそらく、工務での経験を買われて、軍需品の工場での任務となったのでしょう。
なので、時期的に、大戦末期に特攻機を送り出すことは無かったようです。
松山では、何度も空襲に遭っています。
軍需工場ですよ?
いの一番に、空爆されますよね。
とんでもない経験、しているはずです。
それらを一言で「楽しかった」と言う。
でも、楽しかったわけがない!
なぜ、そんなことを言ったのでしょうか。
わたしには分かりません。
ただ、ふと思います。
戦争を経験した世代にとっての「昭和の生きるための時代」※。
※1970年とか1980年とか。
戦争のことを、リアルに話したくなかったのではないか?
話せない何か、傷があったのではないか?と。
死去しているので、答えは分かりません。
あの時代を生き延びた人には、その人にしか分からない感覚があるのだと思います。
終戦「直後」は、瀬戸内海の大久野島で、毒ガス工場の撤去作業をしていたそうです。
広島県竹原市にあります。
歴史の暗部ですね。
イペリットガス、ルイサイトガスなどが製造されていました。
戦時中、地図に載っていなかった島。
戦時中は、何も知らされない女学生が作業に動員され、多くの人が後遺症を負った島です。
イペリットガス、ルイサイトガス、ともに、ゴムや繊維は透過する性質をもっているからです。
=防護服が完全に機能しない。
父方の祖父もご多分にもれず、壮年期に肺の手術を受けています。
撤去作業では、島全体の殺菌、消毒のために「カルキ」が3センチ積もるくらい、撒かれたようです。島中の生物は死滅して、文字通り、死の島でした。
なぜ「楽しかった」と言ったのでしょうか?
分かりません。
~~~
今、安全保障政策の転換期。
あの時代の人たちの生き様、死に様にも想いをはせながら、「平和」というものを考えてゆきたいものです。
今日も、読んでいただいたあなたに感謝します。
投稿者 崎田 和伸でした。
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【歴史の証人】大和ミュージアムにて
2015年4月26日(日)
・起業・開業したい、開業して頑張っているあなたのサポートに特化
・行政書士専業、社員雇用型として、現時点、中国五県で最大規模
という事務所です。
「10年後もその先も、生き残り、安定・発展いただくためのお手伝い」をモットーにしています。
息子と二人、広島県呉市にある、大和ミュージアムへ行ってきました。
太平洋戦争(大東亜戦争)で撃沈した、戦艦大和の記念館です。
外観はこんな感じ↓
~~~
戦争は、たった70年前。
人類の歴史から言えば、ほんの“ついさっき”のことです。
普段、動画が中心になっていますが、戦争の記録映画、映像ってやつをよく観ます。
観なきゃと思って、あえて、観ています。
なんか、日本人として”知らなきゃ“と思いまして。
~~~
今回、行ったのは、息子がJR西日本の「安芸路快速ライナーに乗りたい!」というので、仕方なく、呉へ行きました。
その途中で、見てきました。
鉄道マニア 5歳児と、
鉄道について、まあええと思うけどハマることはない父親
の写真はこちら ↓
※出発駅 広島駅のホームにて。
せっかく行ったので、少し、書いてみます。
ドップリは書きません(^_^;)
~~~
戦艦大和。
当時の大日本帝国の代表的な戦艦。
大和魂、という言葉があるように、日本国民の魂の集大成のような戦艦でした。
大艦巨砲主義の代名詞、シンボルとも言えますね。
10分の1スケールの模型が館内にあります。
こちら ↓
10分の1のサイズですが、それでも大きい。
この10倍だと思うと、そりゃ、すさまじい大きさ、ですね。
動画で観ていただくと、スケールのデカさを感じていただけるかもしれません。
逆にわかりにくくなるかな・・・。
撮影映像(1) ↓
https://youtu.be/HIOp8idihEo
撮影映像(2) ↓
https://youtu.be/Lk2j4D2UcnE
~~~
大和は、呉で造られました。
昔、呉の親類から聞いたことがあります。
戦時中のことです。
「ある日、外出禁止令が出て、窓という窓に、黒い布を垂らして、外を見ないよう、命令が出た」。
その日が、大和の進水式でした。
すべてが極秘。
実は、撃沈したあとも、極秘です。
生き残った乗組員は、しばらく、ある島に集められ、故郷に帰ることはできなかったそうです。
本当に、日本国民の精神的柱、だったのですね。
沈んだことが公開できない。
そして、
生き残った人、そして、大和そのものも、歴史の証人だなと感じました。
~~~
この大和ミュージアム。
大和のことだけじゃない、戦時下の暮らしや、戦争を止めようとした人の手記など、いろんな展示があります。
遺族のインタビュー映像なども流れています。
戦没者の一覧なども掲示されています。
そこで、1分以上立ち尽くし、涙ぐむ自分がいました。
5歳息子は、その間に、どこかに行ってます(^_^;)
~~~
大和ミュージアムには、他にも、たくさんの展示があります。
中の資料で、「造船技術」のことも重きを置いて、説明されていました。
大和の造船技術は、その後の日本の経済発展を支えたのですね。
いろいろと学ぶ点がありました。
ひと通り見て、なんかね、「知る」ことは大事だな、と思いました。
ネットにも、教科書にも載っていないことがあると思います。
一度ぜひ、行ってみてください。
大和ミュージアム ホームページはこちら ↓
http://yamato-museum.com/
JR呉駅から、徒歩5分くらいですよ。
広島から行くなら、「安芸路快速ライナー」がお勧めです(^_^;)
普通の電車に比べて、時間は短いし、クッション性もいい。
乗り心地、抜群ですよ。
以上、投稿者 崎田 和伸でした。
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※1 平成25年10月~平成26年9月。広島県内の「株式会社」「合同会社」「一般社団法人」の総設立数に対し、広島県内の専門家への依頼は全体の2分の1を想定した数値です。法務省の商業登記統計を元に計算しています。
※2 平成25年10月~平成26年9月。広島県内の行政書士への依頼の3分の2を想定。
※3 平成25年2月と平成26年9月の当社受任数の比較です。
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【驚き】1929年10月24日にあったこと。
2015年4月8日(水)
広島県全体の実質7.9パーセントにあたる設立をお任せいただいています!(※1)
広島県全体の実質7.2パーセントにあたる建設業許可取得をお任せいただいています!(※2)
広島建設業許可・登録代行センター
●○━━━↓↓本文↓↓━━━━○●
高校時代、歴史は98点、数学は20点だった、崎田です(^_^;)
考えてみると、そんな男※が社長の会社が、会計代行サービスをやっている・・・。
スタッフが優秀だからこそですね(手前味噌。)
※数学20点。
それはいいとして・・・
そんな男がお贈りする、
「【驚き】1929年10月24日にあったこと。」です。
~~~
1929年10月24日、何があったと思いますか?
答えは、
「世界恐慌が始まった日」。
すなわち、「ウォール街で、大暴落が始まった日」。
ウィキペディアから転記してみますね。
===
世界恐慌とは?
1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」(Black Thursday)として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。
===
そして、諸処の意見はあろうかと思いますが、わたしは思います。
「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)へ向かい始めた日」です。
~~~
運命の1929年10月24日。
時系列で、書いてみますね。
※色んな文献を見ての、おおむねの時間です。
◆1929年10月24日(木)10時25分
突如、ゼネラルモータースの株に、大量の売り注文。
◆同日 10時30分~
あらゆる銘柄について、売り注文が殺到。
◆同日 13時
大手投資機関と、銀行が、買い支えを決定。
◆同日 14時くらい~
投資機関、銀行が、大量の買い注文。
◆同日 15時くらい~ 翌日(金)にかけて
少し落ち着くように見える。暴落の度合いは落ち着いた。
ただ、対策としての「買い注文」がアメリカ全土に伝わるのが、遅れている状態。
新聞では、まず、パニックが報道される。
◆翌週月曜日
再度、暴落。止めることができず・・・。
こんな感じです。
~~~
1929年の世界大恐慌の要因は何なのか?
素人ですが、考えてみました。
◆景気後退の数値結果が出ているのに、株価が高騰する状態だった。
庶民が皆、株を買っているような状態。
株を買うお金を、銀行が高金利で貸していた。
いわゆるバブルです。
景気が後退しているのに、反比例して、株価が上昇してゆく・・・。
◆イギリスの金利上げ
この10月24日の前に、イギリスが金利を上げています。
海外に出てしまったお金を、国内に戻すために、イギリス国内の金利を上げて、投資家のお金が、イギリスに回るようにした。
結果、アメリカのウォール街から、資金が流出しやすい状況だった。
◆その他、もろもろ・・・。
その他、ほんとに色んな要素があるようですね。
たくさん書いてあります。
こちらでは、ウィキペディアを紹介しますね。
http://goo.gl/ibygbL
~~~
この大恐慌があって、日本は、銀行の破綻などが相次ぎ、打開策の1つとして、中国大陸への進出、ということになっていった、というわけです。
その後、結果として、いろんな紆余曲折があって、太平洋戦争(大東亜戦争)となった。
そう思えてなりません。
つまり、1929年10月24日が、「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)へ向かい始めた日」だと思います。
~~~
なんか、現代への教訓があるかもしれませんね。
注意深く、冷静に、賢く、世界や日本の政権、地元の経済をみつめてゆく必要がありそうです。
マイナス思考になっちゃいけないし、プラス思考すぎてもいけない。
難しいところですね。
~~~
この世界恐慌の直前、持っている株を全部売って、大金持ちになった人がいます。
それは
ケネディー大統領のお父さん。
それまで、ずっとやってきた、一流の投資家だったのに、
大暴落の直前、全部、売った。ぜ~~んぶ。
歴史の闇ですね・・・。
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※2 平成25年10月~平成26年9月。広島県内の行政書士への依頼体の3分の2を想定。
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