祖母の葬儀を終えて
2019年5月15日(水)
テーマ:日常の雑感、発見、出来事
5月初旬に祖母が他界しまして、喪主をしておりました。
祖父母のうち最後の祖母です。
享年102歳。
生まれた1916年は第一次世界大戦の真っ最中。渋沢栄一や高橋是清が活躍していた時代。
もう昔すぎて、想像できませんね。
祖母は、結果的に、大正・昭和・平成・令和(令和はぎりぎり)の4つ世を生きた女性となりました。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の終戦を経験しているって、すごいことですね。
死去時、通夜、葬儀を通して、私がなぜかキツめの風邪を引いてしまい、終始、発熱の中での動きとなりました。
家族葬だったのですが、近しい親族のみんなには、迷惑をかけてしまいました。
最後の葬儀では、寝床から起きることができず、開始の30分前に会場に着くという体たらく…。
何とかかんとか、周りのみんなの協力を得ながら終わった、という感じです。
祖母は本当に優しい女性でした。そして小柄な。
怒っている場面は、数度しか見たことがありません。
夫が先立ち、息子(私の父)が先立つという、悲しい想いもした女性。
認知症になることなく102歳の天寿を全うしました。
ずっと三原の実家で私の母と一緒に暮らしていたのですが、時折、私が帰省すると、どうやら父(祖母の息子)がいるような気がして、安心していたようです。
似てきたのかもしれませんね(笑)
耳が遠かったので、帰省したらイヤホンつけてあげて、百人一首を聞かせてあげると、すごく喜んでいました。短歌や俳句も好きでしたね。
今ごろか、(我が家は曹洞宗なので)四十九日後かわかりませんが、夫、息子、兄弟姉妹と逢えて、楽しい暮らしが始まるのかもしれません。
まあ後から来る人を待ちながら、のんびりとやってゆくでしょう。
ふと思い出しましたが、祖母は昔、日掛け金融の集金の仕事をしていたそうで。
あの穏やかさで、日掛け金融の集金がつとまるのかどうか疑問ですが、結構長い間、やっていたようで。
こりゃ「小さな巨人」ですかね。
さて、焼き場の写真です。
骨になった祖母のそばには、チタンかステンレスかわかりませんが焼けて出てきた大きな器具がありました。
あんなの入れて暮らしてたんだな…。見えない苦労は多かったようです。全く知りませんでした。
骨を見ながら、
「この人がいなければ、父も、自分も、そして自分の子供も生まれなかったんだよな」
ということを考えていました。
いまは、普段の生活に戻らせてもらっています。
最後に。
今回、祖母の意向や家族葬ということもあり、小さく執り行わさせていただきました。
故人は100年以上、十分世話になったと思いますし、葬儀ではご香典もお受けしない形といたしました。
後からご報告になってしまいましたが、ご理解、お赦しのほど、お願い申し上げます。
さて、残った者は、精一杯生きてゆきますか。
投稿者:崎田 和伸