【喪主を務めるかもしれない人のための】やってよかった、失敗したこと、改善点。
2016年1月20日(水)
テーマ:日常の雑感、発見、出来事
人間、40代、50代になると、喪主になる可能性が出てきます。
早い人は30代のうちにその状況になります。
昨日の投稿で予告しましたとおり、今回、喪主を務めた経験を振り返り、共有したいと思います。※わたし自身、忘れてしまわないうちに。
わたしは仏教(曹洞宗)なので、仏教ベースで書きます。
一般葬です。(家族葬や密葬、直葬ではありません。)
まずは、一言お礼です。
通夜、葬儀では、たくさんの方のご協力を得て、無事、執り行うことができました。
通夜、葬儀そのものについて、大混乱までは発生しませんでした。
深く、深く、感謝申し上げます。
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◆やってよかったこと
・兄妹で、LINEグループを作って情報共有したこと。
葬儀の情報を、喪主一人で握ることは絶対ダメです。
協力してくれる人がいるかもしれないのに、その門戸を閉ざしてしまいます。
今回、兄妹でLINEグループを作って、何でもかんでも、情報共有しました。
※ウチは兄であるわたし、妹は二人、計3人。
書類を受け取ったら写真撮影しアップロード。
メモを取るのも、紙に書いたうえではなく、LINEに直接書き込み、送信。
葬儀社の人との打ち合わせでも、事前に担当者さんに了解を得たうえで、どんどん書き込んでゆきました。(普通は失礼にあたることですからね、了承を得てからです。)
至らぬ点は多かったですが、大混乱を生まなかった要因は、この情報共有だったと思います。
ただ改善点もありますので、それは後述します。
・事前に、祖父の葬儀の資料を見ておいたこと。
父の父、つまり、祖父ですね。
父が喪主を務めたものです。
その資料が残っていて、葬儀社の見積りに始まり、参列者名簿など、資料がありました。
父に何かあるかも?と思ったとき、見ておきました。
これで、ある程度のイメージがついた状態で、臨終に臨むことができました。
葬儀社の請求書の項目を見ることだけでも、全体像がつかめて、有益です。
・葬儀社のHPを見たこと。
葬儀社のHPを、結構、見ました。
葬儀の種類、内容、価格など、ある程度の知識を得た状態で、葬儀を執り行うことができました。
・喪主挨拶、遺族代表挨拶を、ひな形にしなかったこと。
喪主になると、全員の前で挨拶することが、何度かあります。
葬儀社の方からは「ひな形でも良いですよ」と言われたのですが、結局、ひな形ではない、オリジナルとしました。
挨拶は、結構、大切です。
これ一つで、その葬儀がどうだったか、決まる気がします。
場が締まるというか、故人の記憶が皆さんに残る、というか。
通夜、本葬ともに、同じ内容にする人がいますが、これも違う内容が良いと思います。
ちなみに、挨拶はいくら長くてもいいと思います。
故人の一生分を話すわけですから、1分やそこいらで終わるわけもありません。
喪主挨拶は、いわば、故人の一生が凝縮された数分であり、葬儀の後、頑張って生きてゆく、遺された人たちのための数分だと、わたしは感じました。
どこかのCMでありましたよね、「生きるお葬式」。
逝去した人を悼むと共に、逝去した人が辿った人生が、残される人たちの指標になるようなセレモニー、それが、喪主挨拶ではないか、と思います。
・家族で、方針を決めたこと。
臨終から、葬儀社を決めるまでの間、色んな話を家族でします。
その中で、方針を決めました。
それは「無理せずやろう」です。
実際は「ぼちぼちやろう」という表現でした。
完璧な葬儀は、たぶんできない。
それを前提に動くこと。
「失礼があってはいけない、完璧じゃないといけない」。
これはこれで正しいことなのですが、必ず、失敗します。たぶん、100%。
抜けが出ます。失礼も出ます。
そのとき、完璧を目指していたら、精神的な負担は限りなく高くなると思います。
「完璧は無理!」
最初から、それを考えたうえで臨んだほうがいいと思います。
抜けが出た、失礼なことが起きてしまったときには、誠意をもって真摯に謝罪する必要があります。これは大前提でのお話です。
完璧を目指して失敗するのと、ある程度、ハンドルのあそび的な余裕をもたせた状態で失敗するのとでは、結構、違ってくると思います。
完璧を目指して失敗したら、その後の差配がぐちゃぐちゃになりそうな気がします。
途中まで完璧なプレーだったスポーツ選手が、失敗を機にプレーが崩壊してゆく、あれです。
下記の「失敗したこと」に出てきますが、失敗してます(-_-;)
・親族の食事の数などは、母に任せたこと。
わたし、親族全体のことは分かりません。
誇れることじゃないです。
知っておくべきことです。
でも、今まで父や母が全部やってくれていたため、知る機会が少なかった。知ろうとする努力に欠けていた。
母は、父の配偶者なので、死去に伴う心労は計り知れないものがありました。
でもあえて、「知っている人」である母に、用意しなければならない弁当の数など、任せました。
もしわたしがやっていたら、100%、間違っていたと思います。
それで「失礼があった・・・」と、あとで母がつらい想いをするよりも、ましだったと思います。
一例ではありますが、弁当の数を間違えたら、その人が弁当なし、になりますよね。
すぐに手配できるものではないし、コンビニで買ってくるなんて、失礼の極みです。
今回は、任された人はつらいかもしれないが「得意な人に任せる」が、結果的に、弁当の数の間違い等を生みませんでした。
父の交友関係も母に任せました。
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◆失敗したこと
下で出てくる「改善点」と重複する部分があるかもしれませんが、ご了承ください。
・供花、供物に漏れがあったこと。
葬式といったら、供花、供物がありますよね。
こんなものです ↓
これ、葬儀場に直接、注文して下さるケースもありますが、故人の家族に注文が入るケースが多いです。
わたしは親戚のお一人について、注文し忘れるタブーをおかしてしまいました。
通夜には間に合わず、葬儀で間に合うことになりました。
重々お詫びをしたのち、ありがたくも、許してくださいました。
・自分の子供を見る余裕がない。
葬儀後の食事の席で、自分の子供を横に置く余裕がありません。
喪主の配偶者も忙しいです。四六時中、子供を横に置いておくことはできません。
そんな中で、わたしの横で子供がご飯を食べているとき、わたしが場を離れ、気になっている人と話しをする時間が発生しました。
その間、残った息子が何だかんだと人に話しかけ、親族の人に迷惑をかけてしまいました。
1歳~3歳であれば間違いなく親がつきます。
でも「周りに迷惑をかけずご飯を食べてくれるだろう」と思ってしまいがちな、5歳~7歳の子供は要注意だと思います。
ずっとわたしがおれば良かったわけですが、精神的な余白が少ない状態の時だったので、判断力も欠けていましたね。
・火葬前後で、腹が減って仕方なかったこと。
火葬場へ行く場合、のことです。
火葬場と、その周辺の時間、腹が減ってしかったなかったことです。
たぶん、行って下さったみなさん、そうだったと思います。
本葬が終わり、霊柩車で火葬場へ行きますよね。
あれ、時間がかかります。
移動含めると3時間。
葬儀場に、骨になって帰ってきて、だいたい、初七日をやってしまうので、それを含めると、3時間半~4時間半。
本葬の開始が12時くらいが一般的かと思いますので、3時半~4時半まで、ご飯を食べることができません。
「立ち飯」といって、火葬場に行って下さる方向けに、午前10時ごろ、弁当をお出しするのですが、それを食べても、腹が減ります。
火葬場で、弁当を用意して、そこで食べてしまうほうがいいと思いました。
・出棺は寒い。
出棺は、意外と時間がかかります。
葬儀に参列くださった方々全員が見守って下さるのですが、冬は寒い。
夏は暑いですよね。
この時間が長かったです。
皆さん、疲れているのに、待たせてしまいました。
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◆改善点
・協力してくれそうな人とLINEグループを作る。
上の「良かったこと」で、「兄妹でLINEグループを作ったこと」と書きました。
家族ではないが、協力してくれそうな人たち、という、本当に有り難い存在、ありますよね。
わたしの場合、妹たちの配偶者です。
「途中から」となってしまいましたが、兄妹と、その配偶者を含めて、別のグループを作りました。
これは、良かったです。
「これからの流れ」とか「タスク系」を共有できたのですが、これ、最初からやっておけば良かったです。
兄妹までの連絡必要事項は無いが、でも知らせておくと良いものは、絶対あります。
少なくとも、次のステップが分かっておれば、葬儀、火葬場に出席する皆さんを先導してくれます。
これで、わたしは大変助けてもらいました。
精神的にも支えられます。
・葬儀場の担当の方をフル活用すること。
葬儀では、分からないことがたくさん出てきます。
わたしの場合、仏事にはほとんど知識が無い状態で臨んだので、「何も知らない」が正しい表現のような状態でした。
葬儀を頼むと、担当者が高い確率で付くと思うので、フル活用するべきです。
正直、分からないところが分からない、という状態ですが、その「分からないこととして多い点を打ち合わせ時に聞いておく」というのも有効だと思います。
「質問が多いのはどんなことですか?」という質問から入っても良いと思います。
「皆さんが困るポイントはどこですか?」あたりの質問でも効果的です。
・一般葬にするのか、家族葬にするのか、事前に考えて、話し合っておいたほうが良い。
臨終から葬儀へは怒涛です。
考える暇も、話し合う暇もありません。
わたしの場合、事前に話せるところは話しておいたつもりではありましたが、そんな甘いもんじゃありませんでした。
葬儀を一般葬にするのか、家族葬にするのか、それから、話しておいたほうがいいと思います。
実は、臨終が近くなると、話せる環境では無くなります。
生きて欲しい、とみんなが願うので、葬儀の話は、どんどんタブーになってゆきます。
できるだけ元気なうちに「万が一の場合は・・・」という言い方でもいいので、話し合っておくべきだと思います。
一般葬がどんな状況なのか、家族葬がどんなものなのか、元気なうちに葬儀社へ行って、話を聞いて、情報を得たうえで、選ぶと良いと思います。
わたしの場合は、余裕が無かったのもありますが、情報を得る間なく、否応なく、一般葬、でした。
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以上、長文になってしまいましたが、
【喪主を務めるかもしれない人のための】やってよかった、失敗したこと、改善点。
でした。
人はいつか旅立ちます。100%の割合で。
そして、この投稿をご覧のあなたも、いつか、誰かの旅立ちにあわせて、喪主を務める可能性があると思います。一般葬、家族葬どちらであっても。
そんなとき、思い出していただけると嬉しいです。
不吉な投稿と思われたかもしれませんが、ご容赦ください。
※葬儀系の投稿は、たぶん、今日でおしまいにしますね。
投稿者 崎田 和伸でした。