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崎田 和伸ブログ「七転び、八起き」

実務家としては失敗は許されません。
でも、経営者としては失敗ばかり。後悔ばかりの小心者です。
ただ「転んでも起きる」を目標に、経営しています。

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【歴史】りりしく美しい戦国武将の「裏の顔」

2017年2月4日(土)

テーマ:歴史98点、数学20点の男がお贈りする

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 歴史98点、数学20点の男がお贈りする歴史トリビア

 

わたし、歴史が好きです。
学生時代のある試験では、歴史98点、数学20点でした。そんな男です。

歴史好きがこうじて、色んな文献を読んだり、掘り下げて調べてみたり。

ほぼ趣味ですね。

行政書士なのですが、肩書を「歴史研究家」としましょうかね(^_^;)

 

ということで、時折、歴史のことを書いていますが、今回も書かせてもらいます。

タイトルは、りりしく美しい戦国武将の「裏の顔」

 

今回の記事は、戦国武将に夢を抱いているあなた、戦国時代に行ってみたいと思っているあなたは、読まないでください。

トラウマになります。

また、事実は時に気分が悪くなります。

気持ちよくテレビ、映画をみたい、という方も読まないでください。

 

 戦国時代は阿鼻叫喚の地獄世界。

 

いきなりですけども、これが事実。

戦国時代は阿鼻叫喚の地獄世界でした。

 

「日本は島国だし、大陸と違って、大規模に残酷なことはしていないでしょ?」と思われがちです。

でも、皆さんが思っている以上に地獄だと思います。

 

力のみが支配する、あの「北斗の拳」の時代と瓜二つではないでしょうか。

北斗の拳は近未来の核戦争後の世界でしたが、戦国時代もほぼ同じと考えて良い気がします。

 

 乱妨取り(らんぼうどり)の恐怖

 

乱妨取り(らんぼうどり)とは、

戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為を指します。

略して「乱取り」とも言われます。

 

この乱妨取りについて、Wikipediaに載っていますので、一部を転記してみます。

↓↓

当時の軍隊における兵士は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、褒美として付近を自由に乱取りさせた。それら狼藉は悪事ではないとされた
凶作・水害・疫病が起こると、大名は食料獲得のため隣国へ戦争をした。その結果として領土を獲得し、家臣団に与えて下克上の芽を摘み取った。その上で、戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらい売り払うか奴隷にするかした。女性奴隷の一部は、交易を行うポルトガルによって欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られた。人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。女性を強姦し、抵抗する者は殺した

↑↑

 

これが普通でした。

まさに、阿鼻叫喚の地獄世界です。

中の文章でお気づきになりましたか?

それらの狼藉は悪事ではないとされた」。

何の罪にも問われません。それが当時の価値観です。

 

特筆すべきことは、戦国大名のほとんどがやっていたということ。

武田信玄、上杉謙信、織田信長、徳川家康、伊達政宗・・・戦国のりりしく美しい大名たちは、みんな、やっていた。

 

今の価値観から言えば、とんでもないことであり、許されざる行為です。

 

 乱妨取り(らんぼうどり)の実例

 

いくつか実例をご紹介します。

 

◆上杉謙信

 

戦国大名として、武田信玄と並んで、最強と言われた武将です。

上杉謙信の所領である越後は二毛作ができず、春~夏にかけて食糧不足が深刻化していました。

そこで、関東や北信濃に定期的に(というか毎年)、出兵していました。

なので、冬になると出兵し、略奪と乱妨取りを繰り返し、正月を越して春に帰国するのが通例でした。

上杉軍が関わることだけでも、越後に連れ去られ奴隷となった人は数万~10万人と言われています。

 

「上杉謙信は義のために戦う」。

よく言われていますよね。すばらしいことです。

 

でも考えてみて下さい。

義のために、兵の主力である農民は戦いますか?

武将たちは戦いますか?

それもあの戦国の世で。

 

こう考えてみると、上杉謙信は権謀術数の戦国時代の中で、偶然、寝返りや鞍替えをしなかっただけで、偶然、一本筋の通った行いだっただけ、ではないでしょうか。

 

◆徳川家康

 

徳川家康は戦国の世を終わらせ、平和の時代を切り開いた名君と言われています。

戦国の世を終わらせたこと、徳川幕府の開祖、という点では確かです。

 

大阪夏の陣、ご存じですよね。

「真田丸」で真田信繁(真田幸村)が最後の活躍を見せ、豊臣は滅亡した、あの戦いです。

 

その時の絵が残っています。「大坂夏の陣図屏風」といいます。

黒田官兵衛の息子である、黒田長政が描かせたと言われています。

ご紹介しますね。

まずは全体像です。おおきな絵です。

 

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この絵は、「戦国のゲルニカ」と呼ばれ、勇猛さと悲惨さが併せて記録された貴重な絵です。

大阪「冬」の陣は、ある程度の準備期間がありましたが、「夏」の陣はいきなり戦闘が始まったので、庶民、農民は逃げるタイミングを失いました。

 

乱妨取り(乱取り)は、大名にとっては基本的に恥ずべきことだったので、歴史の資料としては残っているものはすくないです。そんな中で、この「大阪夏の陣図屏風」は第一級史料と言えるかと思います。

 

絵の「右」上が、勇猛な戦いの場面。絵の「左」下に、阿鼻叫喚の地獄世界が描かれています。

左下を拡大した画像がありましたので、転載させていただきます。

 

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転載元:http://blog.goo.ne.jp/hijai/e/17bc740ad78c7a72dbee1c62dff6aaf1

 

家財が略奪される様子や、東軍(徳川家康)に連れ去られようとしている女性たち。

女性が東軍の兵士に襲いかかられているシーン。

東軍の兵士に裸で抱えられている女性。

など、ある程度、柔らかめにかかれていますが、見るに耐えない光景です。

これらのシーンのあとも、容易に想像されます。

 

まさに阿鼻叫喚の世界。

これらの人を助ける、正義の騎士はいません。絶対いない。

 

徳川家康は、これらの行為を積極的にさせた、わけではないのですが、積極的に黙認しています。

乱妨取りを当然のことと認識し、やった人間を罰することもしていません。

 

この絵は、黒田長政が部下に命じて、書かせています。

こういう行為を止めることはできないが、もう無くなってほしいと思ったのでしょう。

罪滅ぼしの気持ちから書かせたのかもしれません。真意は誰にも分かりません。

 

以上、2例でした。

上杉謙信と徳川家康。すごく有名な戦国大名ですね。

人でなしです。

 

戦国大名は、こういう例が数限りなく出てきます。

武田信玄、織田信長、伊達政宗・・・戦国のりりしく美しい大名たちは、みんな、やっていた。

この絵に描かれたことは、日本中どこでも行われていました。

 

だから戦国時代の攻城戦では、領民を城内に入れて一緒に戦うことが多かったようです。

兵糧の問題はありますが、ほんの少しの間は守れます。

実際は領民を守るという目的ではなく、兵農分離されていない時代ですから、兵の家族を城に入れることにより、兵士の士気を上げる目的が主だったかもしれません。

 

乱妨取りは、海外貿易をしていた大名、キリシタン大名は特にひどく、薩摩(現在の鹿児島)の島津氏や、九州の有馬、大友氏などは積極的に行っていたとも言われています。

泣き叫ぶ農民の男女を…これ以上は凄惨すぎて書けませんが、最後は、海外へ奴隷として輸出する。

これが行われていました。

 

これが真実です。

りりしく、たくましく、正義の化身で、美しい戦国武将なんて、いません。

 

いまの法律と価値観からいえば、とんでもないやつらです。

 

 これからの時代劇の見方

 

いかがでしょうか。

戦国を描いた映画、ドラマの見方が変わりませんか?

 

映画やドラマがどんなに綺麗に描かれているか。

わたしは乱妨取りという事実があったことを理解したうえで、綺麗な映画、ドラマを観ています

 

時折みかけませんか?

「狼藉を受ける弱き民を武将、兵士または浪人が助けるシーン」。

 

あれは現代の価値観だと思います。

 

当時、日本の中で少しあったかもしれませんが、ほぼ無かったシーンです。

無理やり、あったと仮定してみるとこんな感じかと思います。

・自他共に認める自国領での戦闘のない時の治安維持の責任者の兵士(農民ではない)。

 

でもその兵士も、戦場ではその多くで乱妨取りをする・・・。

救いようがありません。

 

現代の価値観は、明治以降にできあがった価値観です。

 

では、ひとことでまとめて、今日の投稿を終わりますね。

 

戦国時代は阿鼻叫喚の地獄であり、

戦国武将は、とんでもないやつらである

 

投稿者:崎田 和伸

【ご存じですか?】「根本 博」という人物。

2016年6月6日(月)

テーマ:歴史98点、数学20点の男がお贈りする

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わたし歴史が好きなので、映像やら本やら、よく見ます。

※高校時代、ある試験で歴史98点、数学20点でした。それくら好きということですね・・(^_^;)

 

特に、1945年前後のことは日本人として知っておかねばならないことが多いと思っています。

父方母方とも、祖父は出征しており、生前は話も聞いています。(もっと聞けばよかった・・・)

 

いや~、この時代のこと、教科書に載ってないことが多すぎる(-_-;)

知らない人が多すぎます。

 

戦後は載せちゃいけない、話しちゃいけない雰囲気が強かったでしょうから仕方ないことではあります。

今日は「根本 博」という人物について書きたいと思います。

 

歴史上の事実として書きます。(完全な事実というのは歴史では無いので、ある程度、確度の高いものとして・・・。)

右の人も左の人も、よろしければお読み下さい。

※今日の記事は、平和な時代にはちょっとキツイ表現を含みます。戦争表現が苦手でない方だけ、お読み進めください。

 

~~~

 

中国大陸の近く、金門島という島があります。

台湾と中国との国境は、この島のすぐ沖にあります。

地図はこちら ↓

 

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台湾というより中国大陸です。

ほぼ中国大陸ですよね。

どうしてでしょうか?

 

台湾と中国の国境が金門島にある理由は、この根本さんが深く関係しています。

この方は、日本人でも知らない人が多いと思います。

 

根本 博さんはこんな人です。 ↓

 

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この人、実はすごい人で、何をやったかというと、次のとおりです。

 

1.終戦直後、中国大陸で・・・。

2.終戦後数年して、台湾で・・・。

 

まず、台湾のことの「前」に、1の中国大陸で何をやったか、です。

1.現地居留民4万人と、支那方面の35万人の将兵を救った。

 

ポツダム宣言を受けた昭和20年8月15日、内モンゴルあたりに総司令官としていました。ご存じのとおり、ソ連軍の侵攻(8月9日~)の真っ最中です。

8月15日以降、大本営からは当然のごとく、武装解除命令が出ていましたが、ソ連軍の侵攻が止むことはありません。

終戦や停戦は関係ないんですね、彼ら(ソ連)には。何を言っても無駄でした。

そのむごさは、ネットで「満州 侵攻」などで調べてみてください。むごすぎます。

 

そんな中、他の地域と同じように殺害と陵辱の限りを受けるのを避けるため、このような命令を下します。

理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」。

自分の管轄する日本軍守備隊に対して、こう命令を下したわけです。

軍人としては軍法会議もので、死を覚悟しないと言えません。

 

そして次に、戦時中に戦っていた相手である「蒋介石」と交渉し、日本人と軍人の帰国のための策を講じます。

結果として、現地居留民4万人と、支那方面の35万人の将兵を日本に帰国させ、自身は最後の船で帰国しています。昭和21年6月のことです。

根本さんが上の命令を出さなければ、居留民4万人がどうなっていたか、35万人の将兵はどこへ行くことになったかは、想像にお任せします。

 

そして2の台湾についてです。

2.帰国後、竿一本持って、金門島に行き、共産党による中華人民共和国の侵攻を食い止めた。

 

第二次世界大戦が終わってから、中国では、共産党政府と国民党政府が内戦中でした。

国民党政府は追い詰められ、台湾に逃れる最中。

共産党政府はソ連の強力な援助があり、アメリカは国民党政府を見捨てたので、当然といえば当然です。

 

大陸側の金門島で敗れれば、国民党政府は最後の戦線を台湾にしなければならない状況でした。

根本さんは、約40万人の通過を許してくれた蒋介石に恩義を感じていて、復員後(=帰国後)、蒋介石からの求めで、金門島へ行きます。当時、日本軍属の動きは日本政府(GHQ)の厳しい監視下にありましたので、竿一本持って、ふらっと釣りに行く感じで、日本を出ます。

 

台湾では、一時密航者として投獄されますが、人物がわかると即、釈放。

蒋介石との面会後、国民党政府の軍事顧問、中将として作戦立案・実行に当たりました。

 

その作戦立案と国民党軍の奮戦により、共産党軍は敗退。

その結果、金門島が、今でも中国政府と、台湾政府との国境になっているというわけです。

 

~~~

 

この根本さん。

 

約40万人を救い、金門島を護りましたが、救えなかった命もたくさんあったようで、そのためか、これらの事実は本人から語られることは、ほぼ、ありませんでした。

昭和41年、死去しています。

 

日本政府も、台湾政府も、政治的意図から、日本の旧軍人が台湾で作戦に関与していたことを明かすことができず、ずっと歴史の表に出ることはありませんでした。

 

ただつい最近(平成21年)、金門島の戦いの式典を機に、台湾政府が認めました。

今後もしかすると、台湾の教科書には載るのかもしれませんね。

 

~~~

 

わたし、1945年前後の近代史の映像をよく観るようにしています。

極端に右寄り・左寄りのものが多いので、できるだけ客観的に観ることに努めながら。

 

やっぱり、この時期のこと、日本人は、知らないことが多すぎます。

 

ちなみに上の「1.終戦直後、中国大陸で・・・。」に関連して、書いてみますね。

 

今の日本では、満州全体からの居留民、軍関係者の引き揚げに際して、「関東軍は居留民を見捨てた」という論調が主になっています。

ただ、ちょっと調べると、

・軍は、居留民の引き揚げ計画を建てたこと。

・居留民の団体が、「性急すぎる」と反対したこと。

 ※たぶん、自分が開墾した土地や財産をスパっと捨てることができなかった。その点、軍関係者は身軽だった。

・関東軍は新京駅で居留民が着くのを少しの間でも待っていたこと。

・居留民がほとんど来ないので、次の便で行くはずだった軍関係者、家族を緊急に集め、まず第一陣として、列車を発車したこと。

 

ココらへんの情報を得ることができます。

もちろん諸論あります。事実と違うところがあるかもしれない。

 

ただ、後から乗った居留民、乗らなかった居留民は、ソ連軍、現地住民、共産軍から残虐の限りを尽くされています。

これは事実。

ソ連は、もとはモンゴル帝国ですから、略奪・陵辱はなんとも思わない民族です。今のロシアは違うと思いたいですね・・。

 

モンゴル帝国を作ったチンギス・ハーンの言葉はこちら ↓

人間の最も大きな喜びは、敵を打ち負かし、これを眼前よりはらい、その持てるものを奪い、その身よりの者の顔を涙にぬらし、その馬に乗り、その妻や娘をおのれの腕に抱くことである

これがソ連軍(ソ連軍を構成する民族)の基礎的な価値観になっていたわけです・・・。

 

でも戦後日本は左寄りの論調が強いので、こんな(=完全に見捨てたわけじゃなかった)ことは、言える雰囲気ではなかったのでしょう。

いや結果的には、見捨てたということになりますね。現代の平和な時代の価値観では。

現代の価値観からは、列車が空に近くなっても軍人は残って居留民を待つ、あたりが妥当な線ですが、戦時下それも緊急時は、そんな価値観は意味ないですね。

 

これからを考えるうえでは、そこらへんを勘案して、しっかりと自分の眼で見極めることが必要かもしれませんね。

もちろん、満州の731部隊などの旧日本軍の蛮行も、よくよく観る、知る必要があると思います。あれは蛮行以外の何物でもありません。

その731部隊の医師たちが、戦後の日本医学会の頂点に君臨していた事実も知る必要がありますね。

歴史は倫理、平和時の価値観とかけ離れた、矛盾に満ちたものだと思います。

 

長文になってしまいましたが、歴史に興味のあるアラフォーの

【ご存じですか?】「根本 博」という人物。

でした。

 

読んでくださって、ありがとうございます。

投稿者:崎田 和伸

【歴史】意外と★★だった中世ヨーロッパ。

2016年5月5日(木)

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※ウィリアム・ホガース(1697年~1764年)の絵。

 

わたし学生時代、歴史98点・数学20点の時がありました。

根っからの歴史好きです。

今日は、「意外と★★だった中世ヨーロッパ。」と題して、書きたいと思います。

本業とは何ら関係ないですね(^_^;)

 

~~~

 

ローマ時代が終わってから、1800年くらいまででしょうか。

諸説ありますが、それくらい長い期間。

 

ヨーロッパは、かな~り、不潔でした。

★★=「不潔」です。

 

今日の投稿は少し汚い記述が出ます。

我慢できそうにない方は読まないでください(^_^;)

 

~~~

 

中世を含めた昔のヨーロッパの絵画って、綺麗ですよね。

貴婦人が豪華に描かれ、綺麗な町並みも描かれれることが多い。

まず感じるのが「美しい」。

皆さん、同じ印象を持つのではないでしょうか。

 

確かに美しいのかもしれませんが、衛生面では真逆になっていました。

その事例を2つ、ご紹介します。

 

【1】風呂に入らなかった。

 

古代ローマ帝国では、公衆浴場つまり銭湯があるくらい、入浴していたそうです。

西暦600年代くらいまででしょうか。

清潔=良いこと、です。今と同じですね。

 

その後、1800年代までなぜか「水は汚い」となります。

湯なんて、毒に近い感覚だったようです。

 

そして、「垢(あか)」は、あればあるほど良いものであり、体を護ってくれると思われていました。

 

それで発達したのが「香水」ですね。

 

ちなみに一般庶民は、服を着替えることは少なかったようです。

なぜなら、

・入浴はもちろん、沐浴もしない

・脱ぐ必要がない

から。

 

地方によっては、子供に服を着せ、脱ぐ必要がないので、ボタンがなかったとのこと。

 

すべてについて、現代日本人からすると、不思議な時代です。

 

1000年以上続いた「入浴しない習慣」は、ある人の登場をきっかけに変わることになります。

 

マリー・アントワネット。

育ったオーストリアの地方では入浴の習慣があったそうで、ベルサイユ宮殿に入ってから、毎日、お風呂に入ったそうですよ。

そこからヨーロッパ全土にその習慣が広まったとか。

 

~~~

 

【2】排泄物の扱いがすごい。

 

中世ヨーロッパにおいて、排泄物(以下「トイレ」といいますね(^_^;))は無駄なものでした。ヨーロッパは原則、狩猟民族であり、農耕民族の日本とは全く別の価値観ですね。

日本では肥料として長い間、使われていました。

 

中世ヨーロッパは、もちろん下水道など無いですから、川に捨てます。

川が遠い家では、溝に捨てます。

溝に捨てるのが面倒なときは、窓から捨てます。

 

こんな感じ(実際の場面を書いた絵画です)

窓から捨ててますね。

 

 

下にいる人にかかってます(-_-;)

 

記録として残っている「ヴェルサイユ宮殿」でも、不衛生さが伺えます。(諸説あります)

ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がありませんでした。

移動式の仮設トイレのようなものだったそうです。

 

決まった場所にないので、トイレを庭ですることも多かったようで。

 

豪華絢爛なイメージがあるヴェルサイユ宮殿。

悪臭だだよう場所だったようです。

 

同じ時代、日本ではどうだったでしょうか。

 

上で「日本は農耕民族」と書きましたね。全く違う価値観と状況でした。

 

基本、トイレは溜めておきます。肥料のためです。

流通業者が汲みとってくれ、しかも、お金をくれたそうです。

高値で取引される時代も長く続きました。

 

ヨーロッパでは、人間のトイレで作物を育てるなどとんでもないこと。

(今でもこの感覚は強いそうです)

 

でも日本は全く逆の思考でした。

トイレが財物として流通するので、基本、川へ流すこともありませんでした。

時代劇で見る、清らかな川は、本当に清らかでした。

 

ヨーロッパとは全く違いますね。

 

~~~

 

以上、【歴史】意外と★★だった中世ヨーロッパ。でした。

 

中世ヨーロッパの

・綺麗な絵画

・豪華絢爛な宮殿。

 

イメージが変わりませんか?

わたしは受けるイメージ、かなり変わってます・・・。

 

今日も、読んでいただいたあなたに感謝します。

 

投稿者 崎田 和伸でした。


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【歴史と経営】石田三成と島左近から経営を考えてみる

2016年4月9日(土)

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石田三成、ご存じですね。

 

豊臣政権の五奉行の一人であり、秀吉の死後、徳川家康を排除しようと挙兵、関ヶ原の戦いで破れて処刑された戦国大名です。

 

彼の生きた時代と近く、信長に反旗を翻した「明智光秀」と混同する人が多いですが、石田三成は謀反人ではありません(^_^;)

あ行で始まり、名前も、ま行で始まりますから仕方ないですね。

 

~~~

 

石田三成。

彼は戦国大名の中では、特殊です。

 

部下で「島左近」(しまさこん)という人物がいました。

浪人だった島左近を、石田三成が雇い入れています。

 

彼(島左近)の給料、いくらだったと思いますか?

 

その額、実に「2万石」。

 

雇い入れた当時の石田三成の領地の石高は、4万石です。

 

その50%を島左近に払う約束をして雇い入れている。

 

考えられますか?

 

4万石を事業でたとえると、総売上です。

石田三成の給料じゃないですよ。総売上です。

 

自国の総売上の半分を払う約束をして雇い入れる

 

今でも、いや、歴史上も考えられない措置です。

 

~~~

 

なぜ?という疑問が湧いてきますが、その理由は明快です。

 

石田三成は、頭は切れるが、武芸の才が無かった。

 

当時は戦国時代(厳密には、安土桃山時代。豊織時代ともいいます)。

 

力なき者は敗れる、北斗の拳のような時代です(^_^;)

 

一定の力のある政権下(豊臣政権)でしたので、頭脳でのし上がってゆくこともできますが、どうしても「力」も必要だった。

 

石田三成は、自分に武芸の才がないことを、正直に認めていた。

 

だから、足りない部分を、自分の領国の石高の半分を使って、備えた

 

秀吉は生前、それを心配して、戦の大将にして実績を積ませることをやったのですが、勝てなかった。

 

映画「のぼうの城」で、豊臣方の大将は石田三成でしたね。

あれも最後は相手方の降伏で終わり、攻めきれなかった。(勝ちではありますが、KO勝ちではなかった)

 

~~~

 

何がすごいかって、石田三成がやったことは、

現代の経営でも必須と言われる「選択と集中」です。

 

あの時代、自分に武の才がないことを自覚することは、プライドが許さなかったと思いますが、すごい柔軟な思考をした。

 

自分には武がない。

でも武は必要。

だったら、武ができる人を雇い入れよう。

自分の領国(経営する事業体)の売上の半分を支払っても、雇い入れよう。

そして、自分は「武以外のところに集中しよう」

 

こういう思考をした。

当時にしてみれば、ありえない施策です。

今でもできませんよね。

 

良いか悪いかは、別です。思考回路についてですね。

 

徳川家康とかは、歴史のある古い大名ですから、古参の家臣が育っていた。

自然と役割分担ができていた。

でも石田三成は、急速に勃興した新興勢力。

部下は育っていませんでした。

今で言う、ベンチャー企業かな。

 

石田三成と島左近との関係で、一つ、詩が残っています。

 

治部少(=石田三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」。

 

それくらい、島左近は武勇に優れていた武将でした。

佐和山とは、石田三成の居城です。

 

~~~

 

ご存じの通り、結果としては、家康に敗れます。

 

いかんせん、時代の流れに呑み込まれてしまった。

 

豊臣方の総大将である毛利隆元までもが、徳川家康に書状を送り、いいこと言っていた環境下です。

 

負けた要因は、すべて、裏切りです。

 

関ヶ原の小早川秀秋もそう。総大将の毛利輝元も、実質的には裏切りです。

 

上の詩で出てきました「佐和山の城」も、関ヶ原直後に徳川方が攻めたのですが、堅固極まり落とせず、結局、城内の裏切りで、落城しています。

 

裏切りを防げなかったのは石田三成の不徳、という見方もできますが、ちょっと厳しいかな、と思います。

 

時代の趨勢だったのでしょうかね。

 

~~~

 

さて、島左近。

いろんな戦いで実績をあげていますが、関ヶ原の戦いでは特に、獅子奮迅の活躍をしました。

 

一説では、関ヶ原の戦いでの徳川方戦死者(勝敗がつかない段階)の多くは、石田三成勢との戦いで出たと言われています。

つまり、島左近ですね。

 

島左近は、関ヶ原の戦いで戦死したとも、生き延びたとも言われ、諸説入り混じっています。

裏切り、前後からの狂撃、敗退、という場面ですから、消息不明というのは仕方ないことです。戦死したのなら首級から分かると思うので、生き延びたというのが有力な説だと思います。

 

~~~

 

いまから400年以上も前。

 

柔軟な考え方で、選択と集中を行った石田三成

 

まだまだ学べる点がありそうです。

 

もうひとつ、逸話が残っています。

 

関ヶ原の戦いの後、捕まって処刑寸前。

「水が欲しい」という三成でしたが、その場に「柿」しかなかったそうで。

 

柿をあげようとすると、三成はこう言ったそうです。

柿は体に悪いから食わん」。

 

これから死ぬ男の言葉とは思えませんね。

最後の最後まであきらめなかった、すさまじい闘志の持ち主でした。

 

今日は、好きなジャンルなので、長文になってしまいました。

 

そんな中、ここまで読んでいただいたあなたに感謝します。

 

投稿者 崎田 和伸でした。


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【歴史・戦後70年】戦争犠牲者数を見てみた。

2016年2月7日(日)

テーマ:歴史98点、数学20点の男がお贈りする


わたし、歴史が好きです。
学生時代のある試験では、歴史98点、数学20点でした。そんな男です。

歴史の中でも、好き嫌いじゃなく、知っておかなきゃと思い、戦争の映像をよく観ます。
戦争の映画ではないです。記録映像、ですね。

せっかく歴史を学ぶ性格的な元地(もとじ)があるのだから、苦になりませんから、よくよく、観ます。

今日は深刻な話題。戦争犠牲者数についてです。

~~~

第二次世界大戦が終わって70年。

どこかで見ましたが、この70年って節目だそうです。
戦争を知る世代の数と発言の機会が著しく下がり、ほぼ知らない世代のみによる論議になる年数

普段、戦争のことはよく知らなきゃと思っています。
だから、戦争そのものも、政治信条が右のものも左のものも、よく読み、観るようにしています。

わたし、思うのですが、日本ほど、戦争をしたくない国は珍しい。
戦争をしたい人は、どこかで見た記憶がありますが、1%未満。
限りなくゼロに近いと思います。

これは、第二次世界大戦の犠牲、悲惨さを聞いて、学んだことで、日本人の心の根底に根付いているからではないでしょうか。

~~~

「犠牲者」について、少し考えてみます。

実際にどれくらいの犠牲者が出たのか、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。

第二次世界大戦全体で、全部でどれくらい亡くなったか?です。

ずばり、5,000万人~8,000人

8,000万人だとすると、当時の総人口の2.5%です。
(数値は、Wikipediaから)

少ないと思いましたか?
これって、幼児も軍人も、都市部も田舎も、ぜ~んぶ含めて、この数字。
ものすごく高い率だと思います。

で、その割合を、軍人と民間人で見てみると・・・

民間人の被害者数:3800万~5500万人
(戦争に伴う飢饉・病気によるものは1300万~2000万)。

軍人の被害者数:2200万~2500万人
(捕虜としての死者数も含む。)

軍人よりも民間人のほうが圧倒的に死者数が多い。

意外と知られていない史実です。

民間の犠牲者数に、軍人より開きがあるのは、統計が取れないほど混乱していたからだと思われます。戸籍制度もない国がたくさんあったのも要因です。
他方、軍人は、人数に開きが少ないです。

ちなみに、日本の犠牲者は、262万人~312万人で、国民全体の3.67%~4.37%です。
内訳は、軍人212万人、民間人50~100万人。
日本は、軍部の一部が目指した「本土決戦」をしたなら、この犠牲者数は飛躍的に増えたことでしょうね。

戦争犠牲者は、諸説があります。
何人亡くなったのかは、実は誰にも分かりません。

なお、民間人について、戦争による飢餓や病気による死者が1,300万人~2,000万人。
民間人の3分の1近くは、戦争があったことによる飢餓、病気で亡くなっている。

戦争の悲惨さ、愚かさを改めて、感じます。

本当に無念だったでしょうね。

昔、アルパチーノ主演の「ゴッドファーザー」で、娘が抗争に巻き込まれて死んだとき、アルパチーノ演じる主人公は、天を仰いで、声にならない嗚咽で、悲しみを露わにします。


※ゴッドファーザー パート3から。


ゴッドファーザーでたとえることや、たとえそのものが悪いかもしれませんが、
あの主人公の声にならない嗚咽を、おそらく、民間人の犠牲者3,800~5,500万人のうち大部分は、発したかもしれない。

または、嗚咽や悲しみの声をあげることができる、してくれる人がいるのは幸せなほうだと思います。
突然の「理不尽な死」を迎えなければならなかった人も多かったことでしょう。
これは民間人も軍人も、ですね。

~~~

「民間人」の犠牲者「全体」について考えてみると・・・

・テレビやドラマ、映画だったら、死にそうになったらヒーローが現れる。

・映画で、死にそうになっても、寸でのところで助かる。

これが起こらなかった死が、何千万回もあった
ということになります。

テレビやドラマ、映画で出てくる「奇跡」が、確率としては本当に奇跡であることが分かります。

または、「突然、死ななければならない」という状態も膨大だったと思います。

テレビでもドラマでも、映画でも出てこない、
歴史上で、実際にあった現実です。

~~~

国別では、共産主義国の犠牲者数が、極めて高い。

共産主義国の犠牲者数は、民主主義国とくらべて信憑性が低いと言われていますが、「ソ連」は、実数と近いと言われています。
犠牲者数を増やして公表することでのメリットが少なかったからです。

ということで、一例として、ソ連を見てみますね。

実は、ソ連は、
総人口の13.6%~14.2%が犠牲になっています

第二次世界大戦の戦争国全体での犠牲者は、総人口の2.5%でしたね。

ソ連は、その5倍以上の犠牲者を出しています。

これは戦場に送り出す兵士の装備への考え方で、よく分かります。

ソ連は、兵士一人に対して、銃は、1丁ありませんでした。
国民の生命の価値は、国家よりもかなり低かったので、最初から、銃なし。

武器なしで戦場に強制的に行かされました。
そして、死んだ兵士の銃を使うことが前提とされていました。

共産主義は、建前上も、実際も、国民の生命は国家(公益)よりも軽い、という状況でした。

だからなのか分かりませんが、ソ連兵の横暴さは、他の国と比較にならなかった、とも言われています。兵士としては今日、明日死ぬかもしれない身ですから、倫理観が崩壊していたのかもしれません。

できるかぎり「綺麗」に書きましたが、実際のソ連兵の横暴さは、群を抜いていました。
旧満州、朝鮮半島に残された日本人の末路は想像を絶します。
横暴という言葉を超えています。
中共軍、朝鮮人民義勇軍、地域の農民集団もひどかった。

もし可能でしたら、一度調べてみてください。
「満州 引き上げ」などです。
すさまじいです。

日本では語られることのない歴史の闇、に近いことですね。
生存している人の尊厳の問題も大きいです。

でも、知らない人の多さには驚きます。

~~~

戦争は、起きてしまうと、その勢いは止められません。
歴史が証明しています。

起きる前に防がないといけませんね。

広島という地で育ったわたしとしては、その惨禍を、他の地方の人よりも目にする機会が多かったので、ことさらに、感じます。

戦争は「数」だけで考えるものではありません。
また、時代によって動く「右」や「左」で判断するものでもないと思います。

わたしは、できるかぎり実際の映像、信ぴょう性の高いと思われる史実から、自分なりに、深く考えてゆくべきことだと思っています。

投稿者:崎田 和伸
 
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